『父が娘に語る経済の話。』

晴山流「風変わりな書評」をお届けします。
取り上げるのは、この本。

『父が娘に語る経済の話。』(ダイヤモンド社)

今回はこの本にかこつけて、僕が読書に何を求めているか、という話をしたいと思います。
3つのことを求めて、僕は本を読みます。それは、新しい観点、新しい視点、新しい視野の3つです。

1.「新しい観点」の例。
『父が娘に語る経済の話。』の中で、お父さんが娘に、「オーストラリアの原住民、アボリジニーには文化があるか?」という問いかけをしています。答えはノー。その心は?

そもそも文化(culture)という言葉は、cultivate(耕す)という動詞から来ています。つまり、農耕と深い関係があります。人類が農耕を発明する前は、狩猟採集で食料を得ていました。しかし、農耕を始めることによって、食物余剰が生じ、そこから国家や軍隊や経済が生まれました。
なので、狩猟採集で食物を得るアボリジニーには、文化という言葉はそぐわないことになります。

では、彼らがはぐくんでいる伝統や技術や知見を何と呼べばよいのだろう?
こんなふうに、僕は「新しい観点」を得ることができました。

2.「新しい視点」の例。
『父が娘に語る経済の話。』は、われわれの視点をグイグイ上に引き上げてくれる書物です。この本の冒頭部は、marketという言葉がキーワードになっています。マーケットの日本語訳は「市場」ですが、市場は「いちば」とも「しじょう」とも読みます。

『父が娘に語る経済の話。』の著者のバルファキスさんは、経済の歴史とは、「市場(いちば)のある社会」が「市場(しじょう)社会」に変わるプロセスである、と明快に語ります。こうして読み手の僕の視点は、グーンと引き上げられ、経済の歴史を新しい「高さ」から俯瞰できるようになります。

3.「新しい視野」の例。
視点が上がると、それまで見えていなかった「広い視野」を得ることができます。
これも、『父が娘に語る経済の話。』を例にして、お話しましょう。

バルファキスさんは、娘さんにこう問いかけます。「なぜ、近代文明はヨーロッパで生まれ、アフリカでは生まれなかったのか?」
ヨーロッパからアジアは、東西に広がる広大な地域。なので、同じ気候帯に属し、同じ農耕文化が横展開できる。農耕は余剰を生み、そこから国家や軍隊や経済が生まれる。

ところが、アフリカは南北に広がる大陸で、気候帯が劇的に変化する。なので、同じ農耕技術が伝播しにくく、大陸が何重にも分断される。このため、日進月歩の近代文明は、ヨーロッパで発展し、アフリカでは芽をださなかった、というのです。

どうです? スケールの大きい話でしょう?
こうして、読み手の視点は引き上げられ、視野がググーンと広がる、というわけです。

こんなふうに、僕は読書から、新しい観点(ものの見方)、新しい視点(目線の高さ)、新しい視野(広域的なビジョン)を得ることができる、というわけなんです。読書万歳!

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